自分なら選ばないクッションが、ソファの上にある。
色が強い。柄も、部屋に合っていない気がする。けれど相手は、それを置いてから少し嬉しそうにしている。
一人で暮らしていた頃なら、答えは簡単だった。気に入らなければ、置かなければいい。二人の部屋では、その簡単さがなくなる。
すっきりした部屋が好きな人と、好きなものに囲まれたい人。間接照明で過ごしたい人と、明るい部屋で本を読みたい人。
好きな相手と、好きな部屋が同じとは限らない。
そこで必要なのは、相手のセンスを直すことではなく、違う好みが一緒に暮らせる形を探すことなのだと思う。
「合わない」の前に、その理由を聞く
「それ、部屋に合わなくない?」
物について話しているつもりでも、相手には、自分の選び方を否定されたように聞こえることがある。
そのクッションは、旅先で見つけたものかもしれない。色よりも手触りが気に入っているのかもしれない。何もないソファを、少し寂しいと感じていたのかもしれない。
まずは、「どこが気に入ったの?」と聞いてみる。説得するための下調べではなく、自分には見えていない理由を知るために。
こちらも「センスが違う」で終わらせず、何が気になるのかを話す。
「色が増えると、少し落ち着かない」「座る場所は広く空けておきたい」。そう言えれば、配色の話なのか、使い勝手の話なのかが分かれてくる。
好きな理由を聞いたからといって、自分も好きになる必要はない。ただ、置き場所や使い方を考える手がかりにはなる。
二人で使う場所と、任せる場所を分ける
家中のものを、すべて二人で選ぶのは骨が折れる。一方に任せきりにすれば、もう一方は、自分の家なのに借りているような気分になることもある。
共有する場所と、それぞれに任せる場所を分けてみたい。
毎日二人で使う食卓やソファは、見た目だけでなく、高さ、座り心地、予算まで一緒に確かめる。小さな棚や机の一角は、それぞれが好きに使う。
広い家でなくても、一段の棚や一枚の壁なら分けられるかもしれない。ただし、片方だけが狭い隅に押し込められるなら、それは分けたことにはならない。
共用部分を、いつも同じ人が最終決定していないか。「任せる」と言いながら、後から細かく直していないか。場所だけでなく、決める余地も渡す必要がある。
同じ部屋に違う趣味が見えていてもいい。統一感より、二人とも自分の居場所だと思えることを優先する場所があっていい。
物を選ぶ前に、そこで何をしたいか
好みの折り合いをつけることは、二つの案の真ん中を選ぶこととは限らない。
照明がいい例だ。暗めの部屋でくつろぎたい人と、明るい場所で本を読みたい人がいる。どちらにも中途半端な明るさにするより、読む場所だけ手元を照らすほうが、望む過ごし方に近づけるかもしれない。
「明るいのが好き」「暗いのが好き」から、「ここで何をしたいのか」へ、話を一段具体的にする。
物の量でも同じことができる。飾りたい人と、片付けたい人がいるなら、家全体の所有数を争う前に、食卓では何も動かさず食事を始められるようにする。その代わり、飾る棚の範囲を一緒に決める。
もちろん、置く場所には限りがある。棚がいっぱいになったときにどうするかも、先に話しておきたい。相手のものを無断で捨てたり、見えない場所へしまったりするのは、整理とは別の問題になる。
手入れする人まで、選び方に含める
飾るものが増えれば、ほこりを払う手間も増える。低い家具を選べば、その下を掃除する方法も考えることになる。
「自分が好きだから置きたい」と言うなら、その後の手入れにも目を向けたい。ただ、好きなものを一つ置くたびに、罰のように家事を割り当てる話ではない。
部屋の見た目についての希望と、それを維持する負担を、別々にしないということだ。
「任せるよ」と言った側も、選ぶ作業を相手に預けたまま、完成してから批評するのは避けたい。予算や譲れない条件は先に伝える。大きな買い物なら、決定前に二人で確認する。
詳しい人が候補を探すことと、その人だけが決定権を持つことは違う。知識は、二人が選びやすくなるために使える。
最初から、完成した部屋を目指さない
迷ったら、すぐに買い足さず、今あるものの配置を変えてしばらく暮らしてみる。
一週間ほど試して、「ここは使いやすくなった」「夜はまだまぶしい」と感想を持ち寄る。一度同意した配置を変えたいと言っても、約束を破ったことにはしない。
住んでみないと分からないことはある。生活時間も、持ち物も変わっていく。部屋に、考え直せる余地を残しておく。
冒頭のクッションは、最後まで自分の好みにはならないかもしれない。それでも、相手がそこでくつろいでいる姿を含めて、その部屋を好きになることはありそうだ。
反対に、どうしても落ち着かないなら、それも言っていい。尊重することは、黙って我慢し続けることではない。
二人の部屋を作るとは、好みを一つに揃えることではなく、違いを話せる場所を作ることなのだと思う。